Date last visitedと承認欲求
あるいは「他人の目」
この発想工房プロジェクトは、いつも「Date last visited」を設定している。
一方で以下のような懸念もあるらしい。
少なくとも、このプロジェクトの運用においてそのような感覚を覚えたことはない。
別にrashita.iconにそういう気持ちがない、というわけではなく、このプロジェクトでは起きていない、というだけ。
なぜそうなのかと考えると、このプロジェクトでは「作品」(ある種の成果物、自分が作った成果物)を提出している気持ちが皆無だからだろう。
ノートの切れ端、メモ帳の一ページを公開している、という感覚が強い。
そういうものがどう扱われようとも、自らの承認欲求とはなんら関係がない。
逆に、ここにあるページたちが、一つひとつ「記事」として書かれたものだったら、もっとずっと気になっていただろうな、とは予想する。
たとえば、このページも考察の切れ端のようなもので、ある種の「表現活動」とはまるで関係がない。このページたちへの評価は、私が欲している評価とは何も結びついていない。
だから気にならない。
ということであろう。
あるいは、そういう気持ちが少しは起きているのかもしれないが、4000ページ近いプロジェクトから誰かがランダムにページを「繰り上げて」くれる効能の方がはるかに大きい、ということかもしれない。
2021/7/17
ある種の嬉しさがあり、それが時間の空費につながる、という観点だった。
そういえば、当初は(つまりページ数の少ないうちは)そういうのがあったかもしれない。
しかし、だんだんそれにも慣れてきて、やがては気にならなくなってきた、ということはあるかもしれない。
もし、閲覧+コメントだったら、嬉しさが摩耗することはない(あるいはその速度が極めて遅い)ということはありうる。
ちなみに、「へぇ〜」という面白さは今でもある。
あるいは割合の問題があるのかもしれない。
たとえば10ページ順番が変動するとして、全体が100ページなら大変動だが、4000ページなら誤差みたいなものになる。
変化している、という感覚が小さい
もっと言えば、そういう嬉しさに駆動されている感覚は、Scrapboxではあまりないが私の場合はTwitterですごくある。